城南の家が
アメリカの建築専門ウェブマガジン、Arch dailyにて紹介されました。
おじいさんの家を引き継ぎ、
耐震・断熱改修を施した若い家族の住まいです。
どうぞご覧くださいませ。
keep smiling!
奥野 崇
2018年、最後のメール送信を終えました。
思えば、あっという間の一年。
建主さんをはじめ、現場で活躍くださる職人さん、
お付き合いくださる業者の皆さん、そしてスタッフの面々。
本当に多くの方々のお力添えのもと、没頭することができました。
この場を借りまして、御礼を申し上げたいと思います。
多くのものが、あふれかえる今。
無理に足すこともなく、無理に引くこともなく。
大切にしなければならないもの、を見つめよう。
次の一年をおぼろげに思います。
最後になりましたが、
皆様がよいお年を迎えられますことを、心よりお祈りしております。
keep smilimg!
奥野 崇
元タオル工場を、ひとりの時間を愉しむ、だだっ広いオーディオルームへ。
とある打ち合わせ先で出会いました。
新しくつくったのでは得ることの出来ない、空間の質。
なんにもないことの豊かさ。
keep smiling!
奥野 崇
西条の家を施工してくださった、老舗工務店である宮嶋組さん。
現場監督を務められた専務さんは、数寄屋建築でも知られる水澤工務店のご出身です。
四国山脈を望む家、としてホームページに追加されています。
日々の気付きを綴ったブログも、読み物として好きです。
どうぞご覧下さいませ。
keep smiling!
奥野 崇
先日見学させて頂いた、西条の栄光教会牧師館。
原設計は倉敷の浦辺鎮太郎によるもの。
今治の長井設計さんを始めとする地元の方々の熱意と努力によって
素晴らしい改修がなされ、次世代へ繋がっていく。
グリッドを縫う斜めの抜け、
レベル差による心の距離の表現、
点在するベンチによる居場所づくり、
が特にいいなあと思いました。
栄光教会は、倉敷レーヨンと創業家である大原家にゆかりがあります。
倉敷レーヨンを定年退職された方からも、直接お話しを伺うことができ
こちらの企業と、西条という町の歴史を垣間見る。
築60年を超え、幾多の困難を乗り越え、
今なお住民に愛される建築にふれて、胸があつくなった。
keep smiling!
奥野 崇
約1年の工期を経て、多度津の家・母屋棟の引き渡しとなりました。
瓦屋根のしっかりした姿で、
座敷と庭の一体化、畳敷の廊下による落ち着き、
和の建築と洋の家具の取り合わせ、雪見障子や経木簾による明るさや見え方の変化をつくる。
最後まで熱心に取り組んでくださった若いチーム。
思い出の多い現場となりました。
引き続いては、茶室棟の工事、造園工事。
お庭は主庭、表庭、茶庭と趣きを変えながらの作庭となります。
茶室棟は来年早々、造園工事は春頃を目処に。
とにもかくにも、ひと段落です。
keep smiling!
奥野 崇
底抜けにきれいな海や空。
歩んできた歴史や、毎年の猛烈な台風など
厳しい環境の中、育まれてきた沖縄の建築文化。
それには、そこに住む人々の苦労と失敗の積み重ねから
徐々に形作られたことを肌で感じました。
環境に対して謙虚に、素直である。
気候風土への無理のない順応が、沖縄の建築の魅力であろうと思います。
と同時に、四国・愛媛の私達はどうか。と考えてしまいます。
その穏やかな気候のためか、
時に傲慢に「何でもできる」と思ってしまいがちです。
建築とは長い年月の間あり続けますから、
見せかけではいつか耐えられなくなります。
古い建物が魅力的なのは、
人間の力を過信せず、謙虚に小さな工夫を積み重ねた姿だからかもしれません。
沖縄でもニュータウンと呼ばれるところでは、
過去の建築とは縁遠いものがたくさん建ってありました。
それは愛媛も同じこと。
生活スタイルの均質化や、建材の技術開発によって
空間性のみが取り沙汰されるこの頃。
今一度、じっくりと考えてみたいと思います。
沖縄の旅のスケッチと写真をまとめてみました。
こちらからご覧になれます。
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奥野 崇
1945年の終戦から27年後の1972年、沖縄は本土復帰を果たします。
73年のオイルショックを経て、75年には沖縄国際海洋博覧会が開催され、
観光、リゾート開発が活発化していく中で、同75年に完成したホテル。
それがムーンビーチホテルです。
設計は当時36歳の国場幸房さんをはじめ、国建のメンバー。なお、国建はこの事業の施主でもあります。
アメリカ軍のパイロットが空から偶然発見した三日月型のビーチを、
兄であり社長である国場幸一郎さんが購入したことから始まったそう。
激動・変革の中、
「これからの沖縄のリゾート施設の方向性を自分達がつくる」
との強い思いとエネルギーの中設計は進められた。
大きなガジュマルの木の下をイメージして、
日陰をつくり、風の通る、家族で楽しめる心地よい空間をつくろうと
当時は1階部分を開放されたピロティ空間であった、との記録を見ました。
(現在は店舗として使われており改変されています)
それって、すごい。驚きました。
ホテルの奥のほうにある古そうな部屋には、
客室入口の開き戸とは別に、風の通る鎧戸の備え付けがありました。
ここからは自分の勝手な想像も含みますが、
ドアを開けて、鎧戸をしめることで風が通り、プライバシーを守れるようにしていたのではないか。
ホテルって客室と廊下やロビーとは、プツっと切ってしまうもの。
ビーチに開放されたピロティーの風は、大きな吹き抜けから各客室まで抜けていたのでは。。。
全部がひとつながり。
温暖な沖縄ならではの、なんと大胆でおおらかであろうか。
「あらゆる常識を逸脱した方法を考え(中略)大きな空間と緑豊かな空間を実現に導くことができた」国場幸房氏
きっとそう。
keep smiling!
奥野 崇