思い返せば、2013年のことだったとは。
事務所を設立して、間も無く。
いつかは、と憧れていたところへ滞在。
偶然にも建築家の中村好文さんにお会いしたのもいい思い出です。
スケッチの旅もここから始まりました。
を追加しました。
思えばちょうど3年前、メキシコでの思い出。
輪郭のはっきりした光と、
ブーゲンビリアの色彩。
ヨーロッパの荘園をバックボーンに
メキシコの大地に着地した、
ルイス・バラガンの建築をみてまわりました。
"今回のコロナによる経験によって、
人との繋がりを大切に想う気持ちがまして、
以前よりもよりあたたかい世界になってくれたら良いなと思うこの頃です"
旅にかかわる方からのメールの一文。
体験することでしか、
建築は理解できないと思っています。
そこにある風土を下敷きに
それぞれの地域で派生した建築をめぐる旅を、またしましょう。
どうぞ皆様、ご健康に。
keep smiling!
奥野 崇
なんとも居心地の良さそうな窓辺。
厳選したものだけのシンプルな空間なんだけれど、
リラックスして過ごす様子が目に浮かぶ。
人の気配が残るような居場所をつくりたい。
建築もインテリアも家具も庭も。
境界なんてないと思う。
立ち返る一枚。
メキシコシティ、バラガン邸でみた瞬間。
keep smiling!
奥野 崇
イスラエルを巡る旅の途中。
隣国のヨルダンへも足を伸ばしました。
フライトの途中、機内から。
一面に広がる砂漠。砂煙によって、地面と空の境界線が曖昧に。
赤い大地。
どこまでもどこまでも続く、とにかく広大な砂と岩の景色。
写真真ん中下の黒い影が人のサイズです。
アカバ周辺の町。
山や土の色と、建築の色が近しい。
ペトラ周辺では、ナバティア人によって紀元前から紀元後700年頃まで栄えた遺跡を多く見ました。
岩をくり抜いて建築をつくる。大地と建築が境なく、ひと続きにあります。
時に摂氏50度を超えることもあるんだそう。
気候も風景も色も。世界はいかに多様であることか。
イスラエルに戻り、クライアントと合流し敷地のある町、ゲデラへ。
エルサレムから車で約30分の静かな住宅街。
約1200㎡の敷地に、住宅と庭を整えます。
この日はクライアント宅へ宿泊。
最終日は、約80年前のバウハウス建築が数多く残る、イスラエル第二の都市テルアビブへ。
移民によって大きく膨らんだ街で、
各地からの移民とともに、そのアイデンティティーを確立するかのごとく
様々な新しい建築スタイルが持ち込まれます。
その姿は「白い都市」とも呼ばれ、世界遺産にも指定されています。
市内中心のバウハウスセンターで簡単なレクチャーを受け、ガイドマップを手に見て回ります。
ちょうど休日で、街に住む人々と建築の幸せな関係も。
アート活動も盛んな土地柄で、生活を楽しんでいる様子が伝わってきました。
歴史、宗教、人種、文化、軍事、気候風土、植生、国民性。
様々な背景が複雑に混ざりながら、今のイスラエルはあります。
現地で、見て聞いて触って感じて。
改めてその多様さと複雑さを知る。
ご笑覧ください。
keep smiling!
奥野 崇
高い塩分濃度で人が浮かぶことで知られる、死海。
海抜マイナス400mと世界で最も低い位置にあります。
幻想的な風景。
年間降水量が100mm以下と乾燥した地域にあり、
砂煙によって対岸のヨルダンが霞んで見えます。
そのほとりにあるのは、
ローマ軍におわれたユダヤの民約1000人が約3年半にわたり籠城したマサダ要塞。
約2000年前の逸話と共に、今も遺跡として残っています。
女性2人と子供5人を残し、
ユダヤの尊厳を守るべく、ここで自ら死を選びました。
「マサダは二度と陥落させない」
悲しい記憶と共に、
ユダヤ人のアイデンティティーの象徴でもあるとのこと。
keep smiling!
奥野 崇
「黄金の街、エルサレム」
そう評されることもあるんだそう。
エルサレムとその近郊の建物のほとんどは、エルサレムストーンと呼ばれるピンクベージュの石灰岩でつくられています。近くでとれる豊富な石材資源と、雨の少ない気候が背景にありますが、どこかやさしい雰囲気を纏います。
その色合いが人肌に近いものを感じるからでしょうか。
石は壁だけでなく、道にも使われており、柔らかい性質のため表面が削られ艶がでるほどに。
明るい色に加えて、反射率の高さから街全体が本当に明るい。目が痛くなるくらい。
特に夕方の光は幻想的。
艶のある床面はきらきらと輝き、凪の水面をみるよう。
「これはすごい」と声がでました。
keep smiling!
奥野 崇
エルサレム。
永く、深く、そして複雑な過去と今を抱える街。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が、小さな旧市街の中で目と鼻の先で犇めき合っています。それぞれのルーツを辿れば近接の理由も理解できますが、ここがいかに特別な場所であったかが伺い知れます。
今回の旅では、特にユダヤ教とキリスト教の聖地を巡りました。(イスラム教の聖地、岩のドームは一部入場規制中)
「嘆きの壁」
かつてユダヤ教の神殿が建っており、ローマ軍に破壊されたのが西暦70年。
そのとき部分的に残ったのが神殿を囲む西側の外壁で、ユダヤ人の聖地となっています。
神と対話する信者達は、石の隙間に紙にかいたメッセージを差し込みます。
独特な格好をした男性は、ユダヤ教の戒律を守り生活をしている、正統派と呼ばれる人々。
「ヴィア・ドロローサと聖墳墓教会」
イエスが処刑まで一歩一歩進んだ足跡を追走するヴィア・ドロローサと、
それのクライマックスの舞台となった地にある聖墳墓教会。
教会の中には十字架をたてたとされる跡や、香油を注がれた石盤、イエスの墓などが今も残っています。
キリスト教においてとても重要な聖地。
歴史や宗教、人種など複雑で難しい問題を内包した街のなかで、
それはそれは、美しい光に出会いました。
keep smiling!
奥野 崇
約一週間のイスラエルの旅。
そこで見て感じた、気候風土や文化、宗教や歴史、そして人々。
一連を反芻するように、振り返ってみようと思う。
※写真:ユダヤ教の聖地、嘆きの壁
keep smiling!
奥野 崇
メキシコシティでは、レゴレッタの約50年前の仕事、カミノレアルホテルへ宿泊。
もちろん部分的な改修はなされていますが、色褪せないその姿に感銘をうけます。
続いて、バラガン視察。
バラガンは最後期の前の約10年、建築の世界から離れてしまいます。
その直前の仕事、メキシコシティの高級住宅街にあるサン・クリストバルの厩舎。
バラガンのおもう理想的な暮らしとは、馬と共にあるものだったよう。
人の住まう住宅と、馬の厩舎、人と馬の為の乗馬のスペースがまとめられています。
キャリアの初期は機能主義的な仕事を行ったバラガン。
ある時期からは、自分の想う建築のみをつくる、と皆に宣言し取り組んだ仕事。
シンボルツリー的なパドック、馬の脚を冷やすプール、馬に乗ったまま通り抜けられる仕切り壁。
建築に求められる機能は満足しながらも、息をのむような美しい瞬間をつくる。
折り重なりや色彩、縮小と拡大など
様々な技法によって唯一無二の空間をつくったバラガン。
その上で最も大切なのは、彼の思想と思っています。
建築には機能を超えて、心に響く空間をつくることもできる。
対峙するものではなく、ある種、人を支配するような世界をつくりうる。
バラガンの建築を体験して、
その内向的で詩的な空間に、彼の精神性をみた気がしました。
※メキシコの旅、一連のスケッチと写真をまとめました。
ブログでは書ききれていないものもあります。
リンクのページに整理しましたので、ご興味あればご覧頂ければと思います。
keep smiling!
奥野 崇
バラガンは建築家でありつつも、宅地分譲を行うデベロッパーでもありました。
溶岩だらけの荒野を、自身が開発した分譲地内に建つ個人住宅。プリエト・ロペス邸。
何人かのオーナーの所有の間に窓や外壁色の改変工事もあったようですが
現在のオーナーはオリジナルに戻す工事を行い、それがひと段落したとのこと。
そう大きくないエントランスから
大空間の予感はさせながらも、腰壁によって見通せない。
テイストは違えど、アアルトのマイレア邸に近い感覚を覚えました。
のびやかな住宅。
小梁が連続して並ぶ天井は、日本の建築ともそう遠くない印象。
塗り込められた梁が、小さな垂れ壁のようで、
空間が重層していることを強調しています。
詩的なバラガン邸に比べ、全体が明るく陽気な雰囲気。
家族と共に過ごす楽しい気持ちになります。
天井の高さ、建具枠、家具の大きさなど
全体の寸法が大きめにつくられており
空間サイズの比率にあわせて拡大したよう。
空間比率によって見付寸法を調整する手法は
吉田五十八先生の住宅でもみられたことを思い出す。
キッチンやパントリーにはトップライトが設けられ
スポットライトのように照らします。
薄いピンクのタイルと、濃い赤の食器棚。
庭には開発当時の溶岩をそのままに、野趣あふれるつくり。
複数の人々で過ごすことを前提にした明るい住宅。
瞑想的な空間をつくるバラガンの仕事としては、少し意外。
keep smiling!
奥野 崇