化粧品メーカー、アモーレパシフック社の本社ビル。
2023年プリツカー賞の受賞者である、
ロンドンの建築家、デイビッド・チッパーフィールドの設計です。
(2024年には聖水地区で新たなプロジェクトの建設開始とのこと)
メガスケールの建物ながら、
チッパーフィールドらしい静謐な空気感が漂います。
エレガントなブルータリズム建築。
奥野 崇
元は工場の町、聖水(ソンス)地区。
今ソウルで最も勢いのある所のひとつです。
自動車修理工場や倉庫群をリノベーションして、
若い人達の集まる場所がモザイク状に生まれています。
手掛けるのは、今をときめく空間デザイナーの面々。
キレイ、が当たり前となった世代にとって、
こういった場所のほうが非日常に感じるのかもしれません。
それでも、
先入観なくそこにある空間の可能性を見出して
それを共感できるところまで引き上げる術には脱帽です。
奥野 崇
宗廟のほど近くに、ARARIO MUSEUMはあります。
ここは、韓国近代建築の巨匠である金壽根(キムスグン)が率いた設計事務所・空間の元社屋です。
1986年に55才という若さで亡くなった氏は、
東京芸大や東大にも留学経験があり、
ソウルオリンピックメインスタジアムの設計でも知られます。
2014年、元々の空間構成を生かした形でリノベーションを行い
現代芸術をテーマとしたミュージアムとして生まれ変わりました。
内部は大小20の部屋があり、迷路のように複雑なつくり。
建物というボリュームのなかで、
いかに変化に富んだ空間をつくりうるかに挑戦したような建築。
廃墟のような粗野な質感が
用途を超えた、空間の強度をつくりだしています。
奥野 崇
夏季休暇を利用して、韓国ソウルへ。
実に4年ぶりの海外となりました。
お目当てのひとつ宗廟正殿は、なんと改修工事延長中とのこと。
調査も並行しながらの工事のため、工期がすでに4回も延びているのだそう。
おとなりの永寧殿にて説明を受ける。
白井晟一が「東洋のパルテノン」と称した正殿も含めて、
複数の増築を繰り返して今の姿になったとは知りませんでした。
奥野 崇
京都祇園、
総合芸術空間「T.T」にて文月の席。
故 髙橋大雅さんの美意識に浸る午後。
奥野 崇
以下、立礼茶室「然美」のHPより転載
さび。
時の移ろいとともに、
うつくしく変化すること。
枯れて風情が出る。古びて趣が出る。
朽ちていく様子と、豊かで華麗な様子の
相反する要素が交わりながら
内面の奥底にひそむ本質が
時間の経過とともに外へと滲み出る。
日本美術の起源である「不完全の美、不均衡の美」
茶碗の名品や名茶室の柱などは、
微妙に仄かに歪んでおり、
その膚はガラス板のように滑らかではなく
「さび」に覆われている。
現在、多くのクライアントから設計のご依頼を頂いており
複数のプロジェクトが進行しております。
(住宅、茶室、医療施設、宿泊施設、寺院、アトリエ、オフィス)
お急ぎでの計画進行をお考えの場合、
ご要望にお応えすることができない恐れがございます。
自分たちの目の届く範囲内で
一邸、一邸しっかりと設計作業をしていきたい、と
少人数で運営している事務所であります。
つきましては、ご相談から設計開始の間までに
少しお待ち頂くようお願いする場合がございます。
誠に勝手ではありますが、
ご理解いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
奥野崇 建築設計事務所
代表 奥野 崇
海と空の境界線がきえてつながる。
島の多い瀬戸内海ではめずらしい景色。
松山市内での新たなプロジェクト。
住まいとオフィスを整えます。
奥野 崇
枕草子の冒頭にて
"夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ、ほたるおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。"
と、夏の最もすばらしい時間帯は夜である、と清少納言は綴っています。
ちょうど今は、一年の中でもっとも日が長く、夜が短いころ。
冬とくらべれば、およそ5時間もの差があります。
夏至 (6月21日)
昼の時間:14時間26分 (日の出:04時58分)
夜の時間:09時間24分 (日の入:19時24分)
冬至 (12月21日)
昼の時間:09時間54分 (日の出:07時11分)
夜の時間:14時間06分 (日の入:17時05分)
その短さを惜しむ気持ちから、
夏の夜を呼んだのが「短夜(みじかよ)」という季語です。
一方で、言葉がうまれた背景には、
明けやすさを恨む、男女の後朝の情もそこに重ねられたのだとか。
たしかに「古今集」や「新古今集」にも、
夏の夜の短さをかこつ歌が多く見られます。
実時間をさらに短く感じさせるような
互いを想いあう儚い気持ちが
「短夜(みじかよ)」という季語には込められている。
なんと切なく、哀調を帯びた言葉でしょう。
奥野 崇
6月16日は、お菓子をいただき厄除と招福を願う
嘉祥(かじょう)という行事がありました。
起源は848年(嘉祥元年)の夏のこと。
時の仁明天皇がご神託を受けられ、
6月16日にお菓子や餅などを神前にお供えされたことが由来なんだそう。
鎌倉、室町時代と嘉祥の日は引き継がれ
江戸時代においては幕府のなかで盛大に執り行われました。
将軍から諸士に下賜するとても重要な儀式で
お菓子は、白木の片木板の上に並べられ
そこには「清浄なもの」という意味が込められています。
梅雨時期の疲れがちな日々に、ほうっと一息。
先人たちの営為に想いを馳せ
甘いお菓子と、渋いめのお茶はいかがでしょう。
奥野 崇