6 月 11日発売の「チルチンびと」(風土社)に
愛媛県の建築家として紹介されました。
47都道府県の地域の根ざした建築家が、
それぞれの地域の気候風土と、住まいづくりについて記したもの。
見かけましたら、手にとってやってくださいませ。
keep smiling!
奥野 崇
京都の出町柳のすぐ近くにある、四君子苑。
春と秋に一週間ずつのみ一般公開されるのにあわせて、
強引に時間をつくり、新緑の京都へ向かいました。
実業家であり、茶人であった北村勤次郎(1904 -1991)の命による
茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)は昭和時代の数寄屋建築の傑作です。
四君子苑という名の由来は、
菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、
その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、
その品格風格にあやかることを祈って、北村謹次郎が命名したものだそう。
四君子苑の数寄屋造りの建物は、
京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、
昭和15年に着工し昭和19年に完成。昭和38年には、
前回のブログでも取り上げました吉田五十八により母屋が、近代数寄屋建築に建替えられたものです。
内部は撮影禁止とのことで、ご紹介できないのが残念。
自然を取り込む壮大な構想で計画されており
鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間を設けていたり、高床の建物の床下を水が流れていたり。
室内から緑が見える、といった
よくある庭とのつながりを超える清々しい空間体験は、とても貴重なものであった。
keep smiling!
奥野 崇
住宅はその特性上、
一旦住まいはじめるとなかなか見学することは難しい。
更に名建築家の設計となるとなおさらのこと。
とある方からのお話しで吉田五十八さんが設計された住宅が見れる、
とのことで、打合せも絡めていってきました。
吉田五十八さんは明治27年生まれの建築家で
数寄屋建築の近代化に努められ、
荒組の障子や大壁造りの壁体、アルミ材の下地窓や簾など
数々の独自の手法を通じて、因襲化した数寄屋建築を再生させた方。
後に文化勲章を受けたことでも知られます。
場所は成城。
いわずも知れた東京の高級住宅街で約560坪のゆとりある敷地に
ゆったりと平屋でかまえています。
八掛の枠廻りや、鴨居と長押の一体化などにより
線の数を減らした室内はすっきりした印象。
各室の平面サイズに対して、天井高さや材の見付寸法を調整しており
プロポーションへの拘りを感じます。
屋根の高さを押さえるために小さな中庭を二つ配置しており
ちょうど風抜きの効果もあり、とても気持ち良い。
風が抜ける建物はやはりいいなあ、と。
お茶室は残念ながら入れませんでしたが、
座ってみて高さを確認してみる。ちょうどいい高さ寸法で落ち着きます。
お茶室からは眺められませんでしたが、あの開口部からの風景はどんなだろう、と想像するのも愉しいものです。
築後48年経過した建物からは、
伝統を引き継ぐ頑なさだけでなく
生活を支える器として、人の営みに寄りそう「優しさ」を感じました。
物としての美しさはもちろんですが
人に寄りそう、柔らかく、優しい建築をつくっていきたい。
keep smiling!
奥野 崇
現在、多くの建主様から設計のご依頼を頂いております関係で、
お急ぎの場合、ご要望にお応えすることができない恐れがございます。
少人数で運営しておる事務所であり、
一軒ずつしっかりと仕事をしていきたい、と思っております。
つきましては、設計開始を少しお待ち頂くようお願いする場合がございます。
誠に勝手ではございますが、何卒ご理解いただけますよう、お願い申し上げます。
奥野崇 建築設計事務所
代表 奥野 崇
住まいにおける家具の重要性。
をよくお話しするので、
建主さんには、実際に体験してもらおうと
事務所にこれはいいなあ、というダイニングチェアを並べて打ち合わせを行っています。
いろんな種類ものを置いてありますので
こっちは、あっちは、と座りくらべるのも愉しいものです。
体に直接触れる家具。
大切に。
keep smiling!
奥野 崇
自分で建築を考えるとき、物事を整理するとき、誰かに何かを伝えようとするとき
私はよく絵をかきます。
昔から特に絵がうまかったわけではありませんが
自分の頭のなかにあることを取り出すには
絵にする、ことが最もやりやすい。
また、
手で紙に直接かく、のもすごく重要。
表現するものが、頭の中とダイレクトに繋がっている感覚になります。
そこはどうもPCの画面や、マウスでは代替できません。
もっといい方法がみつかるまでは
紙と鉛筆で考えていこうと思います。
※写真は週末の打ち合わせでつかった室内スケッチ、でした。
keep smiling!
奥野 崇
実際の大きさの1/50の建築模型。
割と大きな住宅のため、平面で50cm角程の大きさに。
実施設計も完了し、最終確認用の模型になります。
松山市内にて、来月の着工を目指します。
keep smiling!
奥野 崇
週末は今一度、古建築をみるべく京都へ。
24,5才のとき、一週間まるまるをかけて京都の建築をみてまわったのが懐かしい気がします。
梅原猛さんのゲストルーム、詩仙堂、蓮花寺、大徳寺高桐院の写真。
中と外の連続性、四季の移ろいを愉しむ。
建築と庭園が不可分な日本の建築文化。
京都に限らず、美しい古建築にならう部分は極めて大きい。
「建築は、利用可能な実用性の芸術なのです」
スウェーデンの建築家、ラルフ・アースキンの言葉を思い出します。
keep smiling!
奥野 崇
ご相談いただいております計画の現地調査でのこと。
なんと、敷地にある建物は明治43年に建てられた、築105年も経過したもの。
この老朽化した建物を「残すか」「建て替えるか」の判断材料を集めるための現地調査だったわけですが
立ち会ってくださった、近くに住む建主さんのおばあさまが、
建物のことを色々と教えてくださいました。
当時この建物がいかに立派であったかということ、
おばあさまのお姑さんから棟梁について聞かされていたこと、
変わりゆく町の中でどのようにして残り続けたかということ。
この建築を大切に思う気持ちが伝わってきました。
「残すか」「建て替えるか」の結論は
今後、耐震面・性能面・現代の生活との擦り合わせ・経済面など
多方面からの検討が必要で、慎重に冷静に進めていく必要があります。
ただ、おばあさまのお話を伺って改めて思うのは
建築の力と、それに関わる身としての責任。
100年を超えて尚、愛される対象になりうる存在であるということ。
今新たにつくられる建築も、全ていつかは古いものになっていきます。
時代やライフスタイルは変わっていけども、変わらないのは建築は常に人と共にあるということ。
目先の便利さや機能性という言葉の先にある、
建築と人との幸せな関係を築くことを目標に、やっていこうと思います。
keep smiling!
奥野 崇
事務所の打ち合わせ用の椅子に
ウェグナーのCH33が新たに仲間入り。
1957年にデザインされたものですが、その姿に古くさい感じは全くしません。
また、非常に軽く動かしやすく、肘も少し掛ける事ができます。
アームが無い分、テーブルにすっきり収める事ができるのもいいところ。
体が直接触れる家具は、生活する中でとても大切な存在。
表面的な綺麗さだけでなく、
ライフスタイルにあった丈夫なものをチョイスしたいものです。
私は、住まいを考える中で
建築と同じくらい家具の選択は重要なものと考えています。
そのため、事務所にはそれらの家具を実際に体験・取り扱いできる環境を整えています。
次なる仲間入り予定はPPモブラーの68。待ち遠しい!
keep smiling!
奥野 崇