五重位牌堂の回廊では
ランダムに配置したガラススリットからのこもれびが、約800本の桧の化粧垂木に光を投げかけます。
この建物の最も重要な部分のひとつ。
作業手順や納まり、色味などを検討しようと、原寸モックアップをつくりながらの確認。
工務店さんの呼びかけで各工事職人さんが集まってくださいました。
なかなかの迫力。
大胆に細やかに、検討は続きます。
keep smiling!
奥野 崇
四国建築賞の授賞式にて
審査委員である徳島の田處先生からの一言。
「生田勉という建築家を知っていますか?」
土間サロンのある家、をみて、
生田勉氏のことが頭に浮かんだとのこと。作風が似ている、と。
私の勉強不足で存じ上げなかったのですが、どうしても気になり探しました。
古書にて発見。
1972年、三一書房発行の作品集。
紹介文、Wikipediaより転用
生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980年8月4日)は、日本の建築家、建築学者。東京大学名誉教授。
北海道小樽市生まれ。第一高等学校から、1939年東京帝国大学工学部建築学科卒。一高同期に立原道造、大学の一期上に丹下健三・浜口隆一がいる。特に立原とは深く交わった。
また、ル・コルビュジェの作品・思想に強い影響を受けた。逓信省営繕課勤務を経て、1944年一高教授。その後東大教養学部助教授となり、1961年教授、1972年定年退官。
木造の温かみを生かした住宅・山荘作品に独自の境地を開いた。
特に1956年竣工の栗の木のある家については
切妻の大屋根や、1間半グリッドによる幅広の引き戸など、僭越ながら親近感を感じてしまいます。
60年前の仕事ながら、その古びない姿に感動。
木造の住まい、に情熱を注がれた偉大な先人の仕事に
勝手ながら勇気を頂いたような気がしました。
keep smiling!
奥野 崇
鉄工所にて光林寺五重位牌堂の打ち合わせ。
5階建ての建物のため、純粋な木造ではなかなか難しい規模。
主な構造を鉄骨、補助部材を木材でつくるハイブリッド構成となります。
加工途中の部材。
普段の住宅の仕事でみる部材とは、大きさの迫力が違います。
実際、かなりの重量。
鉄という素材の持つものなのか、人を寄せ付けないような強さ、を感じます。
先々の納まりを考慮しての加工は進みます。
keep smiling!
奥野 崇
少し前のことですが。
手嶋保さんの設計された三秋ホールにて。
とつとつと語る、飾らない氏の人柄。
つくる建築のにじみでる気配との一致をみたよう。
煎じ詰める、という言葉が印象的だった。
keep smiling!
奥野 崇
週末は松山市東野にて、立礼茶室のある家、の棟上げ。
神事にはたくさんのご親族が参列くださり、
建主さんの人望の厚さとご家族の繋がりの強さを感じるものに。
すごいなあ、と感じるのと同時に、気が引き締まる思い。
施工は内子の西渕工務店さん。
柊の家でもお世話になりました、現場監督の竹本さんと藤原棟梁(写真手前)のコンビ。
続いてのお餅まき。
曇り空の中でしたが、多くのご近所の皆様にお集まり頂きました。
皆様の笑顔が印象的。
週が変わって今日はいい天気。
化粧垂木の表情も美しい。
さあさあ、これからです。
立礼茶室のある家
来年5月竣工予定。
設計:奥野崇建築設計事務所
施工:西渕工務店
keep smiling!
奥野 崇
弾丸ツアーの最後は
韓国における最古の木造建築物のひとつとされている、浮石寺(ふせきじ、プソクサ)。
671年に建立された寺院で、現在の建物は1376年に再建されたと考えられています。
ちょうどソウルと安東の間に位置し、
韓国の仏教は弾圧された歴史をもつため、こうした寺院は山深いところにしか残っていないそう。
屏山書院とおなじように、建物の下に潜り込むようにアプローチしていきます。
階段をのぼって広場にでるたびに、次の建物が見えてくること3回。
そうしたシークエンスの豊かさからか、実際の移動距離以上の体感距離。
めくるめく変化。
ほの暗い床下と明るい広場、その先にみえる次の建物。
建築だけで完結しない、そこにいたるアプローチと自然の豊かさと一体感。
韓国の古建築にみた興味深い部分。
keep smiling!
奥野 崇
柊の家、が
韓国の建築・インテリア雑誌
[Interni & Decor KOREA 201610]に掲載されました。
木造特集において、紹介されています。
keep smiling!
奥野 崇
河回村と同じ安東にある、屏山書院。
今回の旅で最も良かった建築。
1607年に霊廟としてつくられたものですが、
その後学校のような用途としても使われました。
南に川を臨み、北に山を背にする、背山臨水の立地環境は、韓国における風水思想の影響でしょうか。
入り口の門を抜け建物の下に潜り込むようなアプローチには驚き。
ほの暗い建物下を歩くと、光の差す石階段。
トントンと上りきると明るい広場。
一歩一歩見え方が変化していく体験は気持ちの盛り上がりを感じます。
潜り込むアプローチは見返しの際に目線から消えるために、穴のない包まれ感を生み出します。
それでも閉塞感がないのは、壁のない柱だけの建築の向こうに山並を見渡せるからか。
李朝の人々の描いた理想にふれた気がしました。
浮遊する、安定感のある建築。
頬に感じる、川からの気持ちの良い風。
四方を緩やかに囲う建築によってうまれる広場感。
自然に建築をあわせていくこと。
keep smiling!
奥野 崇
韓国の古建築をみてみたい。
半ば思いつきのような、それでいて運命的な引き合わせのなか
強行軍にて実現した今回の旅。
愛媛の工務店、造園家の有志4名を巻き込んでの実現となりました。
ソウルから南東へ車で約4時間、河回村。
ユネスコの世界遺産に登録されている、李朝時代の姿を現代に残す村で
その中でも最も有名な韓屋のひとつである、北村宅への宿泊が叶いました。
夏は35℃付近、冬には氷点下に達する厳しい気候の中で
涼しさと暖かさをどのように得ていたのか。
まずは、涼の部分。
天井が高く開放的で、板の間で構成されており、
大きな開口部が設けられ風の抜けを重視しています。
カラッとした印象で、活動的な動の雰囲気。
次に、暖の部分。
4畳半弱の部屋の連続で、天井・壁・床・建具に韓紙が隙間なくはりこめられます。
隙間風を塞ぎ、できるだけ密閉した空間をつくることを意図されたのだろう。
かまどの煙の熱を利用するオンドルという床暖房との相性も、板張より優れるそう。
天井高さ2,250㎜と押さえられた
まゆ玉の中のような親密な、静の雰囲気。
床の紙は油のようなものに浸し、強化されています。
それらの部屋は、隣り合わせの近い距離にあり
1日の時間の中でもあちらこちらへと居場所を移動しながらの暮らしだったのでしょう。
中国の四合院の影響か、と頭をよぎる中庭型の構成。
絶妙なスケール感で、間の抜けていない落ち着き感。
陰と陽。
静と動。
低い内法高とプロポーション。
絶妙の距離感。
keep smiling!
奥野 崇