現在、多くのクライアントから設計のご依頼を頂いております関係で、
お急ぎの場合、ご要望にお応えすることができない恐れがございます。
少人数で運営しておる事務所であり、
一邸、一邸しっかりと仕事をしていきたい、と思っております。
つきましては、設計開始を少しお待ち頂くようお願いする場合がございます。
誠に勝手ではございますが、
何卒ご理解いただけますよう、お願い申し上げます。
奥野崇 建築設計事務所
代表 奥野 崇
先の週末は芦屋。
F.L.ライト、遠藤新、南信による仕事、ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)へ。
旧帝国ホテルと時期を同じく設計され、1924年に建設されました。
2016年11月からの改修工事を終え、一般公開が再開されたとの知らせを受け、とんでいきました。
大谷石を使った造形は見所満載。
この建物のためにライトがデザインしたという
銅板のレリーフからは木漏れ日のような光がおちます。
全体としたはやりすぎ、にも感じましたが
各所に散りばめられた休憩スペースと銘打った居場所がなんとも魅力的で。
平面、断面共に寸法操作が絶妙で、
「ああ、いいなあ」と思える、気持ちいいたまり感をつくっています。
ライトから始まる、
日本の近代・現代へと続く、住宅建築の流れを感じずにはいられません。
keep similng!
奥野 崇
透きとおる風景を前に、改めて胸に刻む。
偉大すぎる先輩方の残した言葉。
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瀬戸内海建築憲章
瀬戸内海の環境を守り
瀬戸内海を構成する地域での
環境と人間のかかわりを理解し
媒介としての建築を大切にする。
人間を大切にすることから
建築を生み出し創り出すことを始める。
それには瀬戸内海の自然と環境を大切にし
そこから建築を生み出すことにある。
環境と建築とが遊離し
建築が独り歩きすることはない。
先人たちのつくった文明を見定めこれを理解し
将来への飛躍のための基盤とし足がかりとする。
過去及び現代において
瀬戸内海が日本人のための文化の母体であったことを知るとともに
それが世界に開けた門戸であったことを確認する。
すなわちわれわれは
この地域での文明を守り
それを打ち出していくことと併せて
広く世界へ目を開き
建築を通じて人類に貢献する。
1979年9月
山本忠司(香川)・浦辺鎮太郎(岡山)・松村正恒(愛媛)(司会 神代雄一郎)
「鼎談 瀬戸内を語る─瀬戸内海建築憲章を横に」
『風声 京洛便り』第9号、1980年
野太い建築に差す、柔らかい光。
床に反射し上げ裏をてらす。
息を呑む、とはこういうことでしょうか。
keep smiling!
奥野 崇
平城京に花開いた天平文化。
機会が重なり、奈良に残る古建築を見て回ることに。
特に良かった建築、四点。
正倉院宝庫
千年を超えて今に残るその姿。圧巻の安定感。
「永遠」という言葉が頭に浮かぶ。
元興寺 僧坊
かつてはお坊さんの生活の拠点だった建物。
寺院建築とは異なり、人が暮らすためのこぶりなもの。
風や光を取り入れるために、南北の立面が異なるのも興味深い。
十輪院 本堂
運良く、朝のおつとめに参加させてくださいました。
高さを抑えた本堂の由縁は、大衆信仰の対象であったお地蔵さんをそのままお祀りしているからなのだとか。
つくりは至って簡素。味わい深い。
慈光院
片桐石州によって、境内全体を茶席として整えられたところ。
ほの暗い室内からは、建築と庭との幸せな関係がみてとれました。
keep smilng!
奥野 崇