すでに住まわれている住宅の見学は難しい。
住宅とは、あまりにプライベートな使われ方をするため
必然的に外からの見学が多くなってしまう。
住まいの醍醐味は内部にこそある、と思っているので、はがゆさはつのるばかり。
でも、できることはあるはず。。。名設計者の多くは旅館の設計を行っている。。。
私の全国の名旅館のスケッチの旅は始まりました。
「居心地の良い」空間体験の積み重ねのため、
またその根拠となりうる寸法感覚を身に染み込ませるため。
私のライフワークである、この旅のひとひらを切り取ったnotes。
心踊る出会いから、大好きな旅館を舞台とした新しいnotesが実現しそうです。
詳細きまりましたら、お知らせさせてください。
素敵な人と空間・時間、家具やモノをご紹介致します。
keep smiling!
奥野 崇
当事務所では欠員に伴い、スタッフを募集しております。
【採用資格】
年 齢:30歳以下
木造の住宅設計に真剣に取り組みたい方
【業務内容】
建築設計・監理業務全般
【PC環境】
Windows,mac
【使用CADソフト】
JW CAD
Vector Works他
ご希望の方は履歴書を下記の住所にお送り下さい。
こちらからご連絡させて頂きます。
奥野崇 建築設計事務所
〒790-0814
愛媛県松山市味酒町2-18-1 味酒04ビル3F
089-968-2887
ぐずつく天気のこの頃ですが
おめでたい日が続いています。
大洲の家。
解体工事も無事終わり、地鎮祭の日を迎えることができました。
敷地からは古い井戸が二つも見つかり、ご家族も驚きの様子。
同日にお祓いをお願いし、
ご先祖の生活を支えてくださったことに感謝し、手を合わせました。
余戸の家。
松山市内での平家の住まい。
土間リビングのある、おおらかな空間になります。
まずは地盤改良工事から、になります。
平井の家。
大工さんの木枠加工の真っ最中。
大きな木製引き戸と荒組障子が特徴です。
現場では常にリアルな寸法と向き合うことになります。
可能な限り現場に伺い、原寸図をかきながらの打ち合わせ。
小さな小さなあともう一手間、の積み重ねこそが
いい建築をつくる条件だと思います。
keep smiling!
奥野 崇
また、来たい。と思わせる宿が京都にあります。
いわずも知れた、俵屋旅館。
notesに掲載しております、aman resortsの創設者エイドリアンゼッカに
「hotelの原点は俵屋にある」と言わしめた世界に誇る日本旅館で、
スティーブジョブスも定宿にしていたことでも有名です。
10年前、茶道の先生に紹介して頂いてからの憧れ、で
念願の俵屋滞在となりました。
京都御所のほど近く、混み入った界隈にひっそりとあります。
タクシーがつくなり、さっと数人の方がお出迎え。
カメラでもついているのか?と思うほどの、さすがのホスピタリティ高さ。
玄関まわりは小さく、質素な構え。
ふわり、と香炉の香りが漂います。
履物を預け、館内で最初に迎えてくれたのが、坪庭の藤の花。(訪れたのは四月末でした)
俵屋さんの醍醐味のひとつは、その設えの季節感。
わずか二帖ほどの空間でしたが、
薄い紫の花に光が反射し、あたりを照らす姿には神々しさまで感じます。
宿泊させて頂くのは「竹泉」。
吉村順三氏が設計、中村外二工務店が施工を担当しており
後から知ったことですが中村好文さん著作の意中の建築でも紹介されていました。
八帖と三帖の続間からなり、占用面積はうんと小さいのですが
小さな専用の庭に面しており、静かでとても落ち着きます。
特大の網代天井には銀紙が裏貼りされていたり、換気扇など設備の処理も徹底されており
設計当時の工夫や工事途中でのやりとりが、目に浮かんできます。
図書室やアーネストスタディと呼ばれる別室。
庭への解放と、室内の包まれる感覚のバランスが素晴らしく
たくさんの愉しい居場所が用意されています。
開く、だけでない外部との接点のつくり方は住宅にも参考になります。
滞在でのスケッチの一部。
俵屋さんは、
旅館として長い歴史を誇り、その伝統を大切に守り維持しながらも、
他方で現代のライフスタイルや世界中のいいもの、を取り入れながら、
そこに泊まるお客様に対して感動を与え続けています。
人、と時間、に対して真摯に向き合い「もっと」を追い続ける姿こそ
今回の旅での一番の学びでありました。
keep smiling!
奥野 崇
建主さん宅のキッチンまわりのスケッチ。
住まいの中でも特に決まりきった答えのない部分。
当然とおもうような質問、や
現状の測りとり、から使い勝手の糸口を見出します。
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奥野 崇
今週末も現場は進行しております。
大洲の家。
昔からの商店街の中にある敷地。
工事に先立ちまして、まずは解体工事。
なんと、現場からは古い古い井戸がでてきました。
松山市内での住宅。
お風呂の時間を大切にされる建主さん。
基礎工事の準備が進む中、
露天風呂の寸法、勝手の検討をするため
原寸のモックアップを合板で用意。
実際にこの中に入ってみて、の打ち合わせになりました。
最後は、衣山の家。
分譲地内に建つこちらの住宅。
天気にも恵まれ、無事上棟を迎えました。
北欧家具の、ウェグナー好みの建主さん。
お手伝いさせて頂きまして、既に YチェアとCH33の計4脚の手配を終えています。
よりよい建物にするために、尽力してまいります。
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奥野 崇
ステンレスのオーダーキッチンの打ち合わせに広島の松岡製作所さんへ。
本件の建主さんにとっては、料理は生活そのもの。
働くための台所、をつくること。
信頼がおけて、馴染みのよいものをつくる。
職人さんが、自身の仕事の道具をつくるようなものです。
建主さんご自身の理想をカタチにすること。
建主さんのおもう理想を超えるカタチを見出すこと。
keep smiling!
奥野 崇
6 月 11日発売の「チルチンびと」(風土社)に
愛媛県の建築家として紹介されました。
47都道府県の地域の根ざした建築家が、
それぞれの地域の気候風土と、住まいづくりについて記したもの。
見かけましたら、手にとってやってくださいませ。
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奥野 崇
京都の出町柳のすぐ近くにある、四君子苑。
春と秋に一週間ずつのみ一般公開されるのにあわせて、
強引に時間をつくり、新緑の京都へ向かいました。
実業家であり、茶人であった北村勤次郎(1904 -1991)の命による
茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)は昭和時代の数寄屋建築の傑作です。
四君子苑という名の由来は、
菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、
その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、
その品格風格にあやかることを祈って、北村謹次郎が命名したものだそう。
四君子苑の数寄屋造りの建物は、
京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、
昭和15年に着工し昭和19年に完成。昭和38年には、
前回のブログでも取り上げました吉田五十八により母屋が、近代数寄屋建築に建替えられたものです。
内部は撮影禁止とのことで、ご紹介できないのが残念。
自然を取り込む壮大な構想で計画されており
鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間を設けていたり、高床の建物の床下を水が流れていたり。
室内から緑が見える、といった
よくある庭とのつながりを超える清々しい空間体験は、とても貴重なものであった。
keep smiling!
奥野 崇