京都の出町柳のすぐ近くにある、四君子苑。
春と秋に一週間ずつのみ一般公開されるのにあわせて、
強引に時間をつくり、新緑の京都へ向かいました。
実業家であり、茶人であった北村勤次郎(1904 -1991)の命による
茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)は昭和時代の数寄屋建築の傑作です。
四君子苑という名の由来は、
菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、
その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、
その品格風格にあやかることを祈って、北村謹次郎が命名したものだそう。
四君子苑の数寄屋造りの建物は、
京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、
昭和15年に着工し昭和19年に完成。昭和38年には、
前回のブログでも取り上げました吉田五十八により母屋が、近代数寄屋建築に建替えられたものです。
内部は撮影禁止とのことで、ご紹介できないのが残念。
自然を取り込む壮大な構想で計画されており
鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間を設けていたり、高床の建物の床下を水が流れていたり。
室内から緑が見える、といった
よくある庭とのつながりを超える清々しい空間体験は、とても貴重なものであった。
keep smiling!
奥野 崇
住宅はその特性上、
一旦住まいはじめるとなかなか見学することは難しい。
更に名建築家の設計となるとなおさらのこと。
とある方からのお話しで吉田五十八さんが設計された住宅が見れる、
とのことで、打合せも絡めていってきました。
吉田五十八さんは明治27年生まれの建築家で
数寄屋建築の近代化に努められ、
荒組の障子や大壁造りの壁体、アルミ材の下地窓や簾など
数々の独自の手法を通じて、因襲化した数寄屋建築を再生させた方。
後に文化勲章を受けたことでも知られます。
場所は成城。
いわずも知れた東京の高級住宅街で約560坪のゆとりある敷地に
ゆったりと平屋でかまえています。
八掛の枠廻りや、鴨居と長押の一体化などにより
線の数を減らした室内はすっきりした印象。
各室の平面サイズに対して、天井高さや材の見付寸法を調整しており
プロポーションへの拘りを感じます。
屋根の高さを押さえるために小さな中庭を二つ配置しており
ちょうど風抜きの効果もあり、とても気持ち良い。
風が抜ける建物はやはりいいなあ、と。
お茶室は残念ながら入れませんでしたが、
座ってみて高さを確認してみる。ちょうどいい高さ寸法で落ち着きます。
お茶室からは眺められませんでしたが、あの開口部からの風景はどんなだろう、と想像するのも愉しいものです。
築後48年経過した建物からは、
伝統を引き継ぐ頑なさだけでなく
生活を支える器として、人の営みに寄りそう「優しさ」を感じました。
物としての美しさはもちろんですが
人に寄りそう、柔らかく、優しい建築をつくっていきたい。
keep smiling!
奥野 崇