堀部安嗣さんの建築を見学するため鎌倉山へ。
地域の集会所として利用されている建物です。
新建築の元編集長であられる中谷正人さんが企画された
Wood Front Seminar Unit-2に参加させて頂きました。
寺院建築に強く影響をうけたと、お話しされる氏の建築は独特の落ち着きをまといます。
それは光の量なのか、天井の高さと平面のバランスのためなのか。
入れ子状の平面を好み、内陣外陣のよう、と表現されます。
厳格な定められた全体形状に、角度を振っておさめられた正方形。
角度の振れによってうまれた隙間は、動きのある空間へと変化します。
また、四隅には性格の異なる居場所が用意されており
様々な営みが同時に起こることを許容する、つかずはなれずの関係。
一見整然とした平面に、閉じ込められた豊かな体験。
堀の深い、出窓のような窓辺が人の居場所になること。
学びの多い建築見学となりました。
keep smiling!
奥野 崇
豊中での打ち合わせにあわせて足をのばしました。
カトリック宝塚教会、村野藤吾氏の設計です。
白鯨が大地に降り立ったというイメージらしく、その姿はまるで生き物のよう。
ぬるぬるとうごめく、ある瞬間で固定された建築。
その自由な曲線がつくる様子は独特のやわらかさが伝わってきます。
土地との接し方にも特徴があります。
大地との境界線は曖昧でなじませている。
樋の仕舞もおもしろい。
雨すらもたのしんで見せる。
村野藤吾デザインの置き椅子。
信者さんの座るためのもので築50年を経た現在でも現役とのこと。
線の細い、その品のある立ち姿は流石の一言。
keep smiling!
奥野 崇
大阪・豊中での打ち合わせとあわせて
京都・山崎にある「聴竹居」の見学が叶いました。
(個人所有の建物のため内部の写真公開は控えさせていただきます。)
「聴竹居」(きょうちくきょ)は
藤井厚二の設計で、1928年(昭和3年)に建築され、築88年をむかえる自身の住まいです。
日本で最初に環境共生住宅を志向した建築家とされ、
山崎の広大な敷地において
気温や風のデータ収集し、実験住宅の建築を繰り返した中の第五回目のものです。
若き日の吉村順三もここを訪れ、後に影響を受けた住宅であると語ったそう。
夏の暑さに対していかにして快適に住まうか、について徹底的に考えられており
特に風の抜けへの工夫がおもしろい。
空気を土管の中へ通し涼を得るクールチューブや、
立体的な空気の動きを促す小屋裏換気の工夫
データに基づく平面計画など。
また、和と洋を融合させるべく色々な取り組みがなされている。
モンドリアン風意匠、線と円によるデザインと、日本の住宅様式の重ね合わせ
小上がりの畳による、床座と椅子生活の融合
着物でも座ることのできる椅子の設計。
決して大きくないこの建築にこめられた、細やかな工夫を積み重ねた氏の言葉。
「其の国を代表する建築は住宅建築である」
それぞれの場所における気候風土、人々の暮らしに寄り添う住まい。
それらはいつしか地域の文化として成熟し、人の考え方や価値観へも影響しうるもの。
これみよがしではない
現代における、透き通った住まいをつくろう。
keep smiling!
奥野 崇
また、来たい。と思わせる宿が京都にあります。
いわずも知れた、俵屋旅館。
notesに掲載しております、aman resortsの創設者エイドリアンゼッカに
「hotelの原点は俵屋にある」と言わしめた世界に誇る日本旅館で、
スティーブジョブスも定宿にしていたことでも有名です。
10年前、茶道の先生に紹介して頂いてからの憧れ、で
念願の俵屋滞在となりました。
京都御所のほど近く、混み入った界隈にひっそりとあります。
タクシーがつくなり、さっと数人の方がお出迎え。
カメラでもついているのか?と思うほどの、さすがのホスピタリティ高さ。
玄関まわりは小さく、質素な構え。
ふわり、と香炉の香りが漂います。
履物を預け、館内で最初に迎えてくれたのが、坪庭の藤の花。(訪れたのは四月末でした)
俵屋さんの醍醐味のひとつは、その設えの季節感。
わずか二帖ほどの空間でしたが、
薄い紫の花に光が反射し、あたりを照らす姿には神々しさまで感じます。
宿泊させて頂くのは「竹泉」。
吉村順三氏が設計、中村外二工務店が施工を担当しており
後から知ったことですが中村好文さん著作の意中の建築でも紹介されていました。
八帖と三帖の続間からなり、占用面積はうんと小さいのですが
小さな専用の庭に面しており、静かでとても落ち着きます。
特大の網代天井には銀紙が裏貼りされていたり、換気扇など設備の処理も徹底されており
設計当時の工夫や工事途中でのやりとりが、目に浮かんできます。
図書室やアーネストスタディと呼ばれる別室。
庭への解放と、室内の包まれる感覚のバランスが素晴らしく
たくさんの愉しい居場所が用意されています。
開く、だけでない外部との接点のつくり方は住宅にも参考になります。
滞在でのスケッチの一部。
俵屋さんは、
旅館として長い歴史を誇り、その伝統を大切に守り維持しながらも、
他方で現代のライフスタイルや世界中のいいもの、を取り入れながら、
そこに泊まるお客様に対して感動を与え続けています。
人、と時間、に対して真摯に向き合い「もっと」を追い続ける姿こそ
今回の旅での一番の学びでありました。
keep smiling!
奥野 崇
京都の出町柳のすぐ近くにある、四君子苑。
春と秋に一週間ずつのみ一般公開されるのにあわせて、
強引に時間をつくり、新緑の京都へ向かいました。
実業家であり、茶人であった北村勤次郎(1904 -1991)の命による
茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)は昭和時代の数寄屋建築の傑作です。
四君子苑という名の由来は、
菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、
その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、
その品格風格にあやかることを祈って、北村謹次郎が命名したものだそう。
四君子苑の数寄屋造りの建物は、
京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、
昭和15年に着工し昭和19年に完成。昭和38年には、
前回のブログでも取り上げました吉田五十八により母屋が、近代数寄屋建築に建替えられたものです。
内部は撮影禁止とのことで、ご紹介できないのが残念。
自然を取り込む壮大な構想で計画されており
鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間を設けていたり、高床の建物の床下を水が流れていたり。
室内から緑が見える、といった
よくある庭とのつながりを超える清々しい空間体験は、とても貴重なものであった。
keep smiling!
奥野 崇
住宅はその特性上、
一旦住まいはじめるとなかなか見学することは難しい。
更に名建築家の設計となるとなおさらのこと。
とある方からのお話しで吉田五十八さんが設計された住宅が見れる、
とのことで、打合せも絡めていってきました。
吉田五十八さんは明治27年生まれの建築家で
数寄屋建築の近代化に努められ、
荒組の障子や大壁造りの壁体、アルミ材の下地窓や簾など
数々の独自の手法を通じて、因襲化した数寄屋建築を再生させた方。
後に文化勲章を受けたことでも知られます。
場所は成城。
いわずも知れた東京の高級住宅街で約560坪のゆとりある敷地に
ゆったりと平屋でかまえています。
八掛の枠廻りや、鴨居と長押の一体化などにより
線の数を減らした室内はすっきりした印象。
各室の平面サイズに対して、天井高さや材の見付寸法を調整しており
プロポーションへの拘りを感じます。
屋根の高さを押さえるために小さな中庭を二つ配置しており
ちょうど風抜きの効果もあり、とても気持ち良い。
風が抜ける建物はやはりいいなあ、と。
お茶室は残念ながら入れませんでしたが、
座ってみて高さを確認してみる。ちょうどいい高さ寸法で落ち着きます。
お茶室からは眺められませんでしたが、あの開口部からの風景はどんなだろう、と想像するのも愉しいものです。
築後48年経過した建物からは、
伝統を引き継ぐ頑なさだけでなく
生活を支える器として、人の営みに寄りそう「優しさ」を感じました。
物としての美しさはもちろんですが
人に寄りそう、柔らかく、優しい建築をつくっていきたい。
keep smiling!
奥野 崇
週末は今一度、古建築をみるべく京都へ。
24,5才のとき、一週間まるまるをかけて京都の建築をみてまわったのが懐かしい気がします。
梅原猛さんのゲストルーム、詩仙堂、蓮花寺、大徳寺高桐院の写真。
中と外の連続性、四季の移ろいを愉しむ。
建築と庭園が不可分な日本の建築文化。
京都に限らず、美しい古建築にならう部分は極めて大きい。
「建築は、利用可能な実用性の芸術なのです」
スウェーデンの建築家、ラルフ・アースキンの言葉を思い出します。
keep smiling!
奥野 崇
先日の東京出張の際、訪れた代々木ビレッジ。
小林武史氏の総合プロデュースから各分野の専門家によってうまれたスペース。
2011年のオープンからは随分落ち着いた雰囲気になっていました。
山手線代々木駅をおりてすぐにあります。
前の通りがそのまま施設内に延長し、コンテナを一見無造作に配置した空間はまるでどこかの街の路地のような雰囲気。
視線の操作や、広い−狭いをうまく利用した親密で和やかな様子がとても印象的です。建物の置き方はうまいなあ、と一言。
おすすめの場所です。
代々木ビレッジ
keep smiling!
奥野 崇
去る11月4日に箱根へ。
東京での打合せにあわせて、
いつかはみてみたいと思っていた「森山邸」へ。
設計は西沢立衛氏。
東京でも下町のゴチャゴチャした住宅街の中に埋もれるようにあります。
狭い道路を抜けると、白い小さな箱達。
思っていたより、随分小さな箱の集まり。
通常の住宅のスケール感より
小さなこの集まりに不思議な感覚を覚えます。
またそれらの距離感もあわせて小さい。
建物どうし、道への引き、街の人との距離。
スケール感、距離感の操作により、ある世界感をもった空間ができていました。
それはいわゆる住宅では感じることのない、
新しい感覚、体験。
人のためにつくられたものではないモノに
人が住み着いたような、楽しげでいきいきとした生活の雰囲気。
人の感覚に訴えかけるような建築。
新しい住まいのひとつのカタチ。